住宅取得が原因で借入ができなくなったケース
A商事は年商6千万円、年間所得金額600万円、借入金総額3,500万円の個人企業である。
代表者であるA氏は50歳。事業意欲旺盛な男性経営者だ。
A商事の今回の案件は「従業員を新たに雇用するにあたり、当面の人件費+教育資金」として、当初借入額500万円、残高300万円を600万円で借り換えしてほしいという話であった。
実はこの段階で既に大きな問題点があるのだが、ここでは順を追ってみていこうと思う。
金融機関が考えることは「回収可能かどうか」である。A商事が今後の経営においてこの借入金を滞りなく返済し続けることが可能かどうかを判断することになる。
そこでよく言われるのが「売上高の半年基準」や「利益償還10年基準」である。
A商事の売上高は6千万円でありその半年分となると3千万円となり、既に「売上高の半年基準」わずかに超えている。
「利益償還10年基準」とは「(当期純利益+減価償却費)×10>借入金総額」で判断されるとおり、10年間の予測資金増加額で借入金を完済できるかどうかを見る基準である。
これで判断すると(600万円+100万円)×10=7,000万円となり、基準をクリアすることになる。
それでは今回の借換案件は前向きに検討されるのかというと、次のような問題点が浮かび上がってきたのだ。
<問題点1>従業員雇用のための借入である。
<問題点2>借入金返済可能性の精査
<問題点3>前年度の自宅購入における懸念事項
<問題点1>は、冒頭で「既に大きな問題点がある」と書いた部分である。従業員雇用のための借入ということは、その従業員が退職したら借入理由がなくなることになる。これが何を意味するかをご存じない経営者が多いようであるが、実はこれは一括返済の対象となるのだ。しかしその従業員が退職したからといって金融機関に届け出て一括返済する経営者はいない。となるとこの資金は目的外利用となるのだ。
次に<問題点2>を見ていこう。先に「利益償還10年基準」では5年ほどで完済可能であるという結果が出たのであるが、果たして本当だろうか?これは個人企業における特徴となるのだが、個人企業では「当期純利益+減価償却費」がキャッシュとして残るわけではないのだ。個人企業特有の会計処理方法として「専従者給与」と「事業主貸(事業主借)」というものがある。「専従者給与」とは家族従業員に支払う給料のことを指す。ここで注意すべきことは、給与という名前ではあるが社外から+αのキャッシュインがあるわけではないという点だ。「事業主貸(事業主借)」とは生活費など経費とならない出入金を管理するためのものであるので、個人企業におけるお金の流れを測るためには要チェック科目なのだ。法人税法では社長の生活費は「役員報酬」として経費算入が認められているが、所得税法では事業主の生活費は必要経費として算入できないことになっているからである。
つまり「専従者給与」+「事業主貸」−「事業主借」の合計額がその家庭の年間生活費と推定されるのである。
それではA氏のケースを見ていこう。
A商事ではA氏の奥様に「専従者給与」として年間450万円、「事業主貸」として年間1,200万円(「事業主借」は0)の支出があった。ここからA家の年間生活費は1,000万円〜1,500万円はあると推定されることになる。つまり「600万円の利益+100万円の減価償却費」で計算される年間予測資金増加額を上回る生活費を使っていることになるのだ。しかしそれでは資金が不足するはずである。不足した資金はどこから補っているのだろうか?
<問題3>は前年度の自宅購入における懸念事項である。
A氏はこの借入申込の前年に自宅を購入していた。これ自体が問題となるわけではない。問題はこの自宅購入に充てた資金をどこから持ってきたかである。
A氏はこの自宅を1000万円の頭金+3,500万円のローンで購入した。この自宅購入の数ヶ月前にA商事はある金融機関から1,000万円の融資を受けている。名目は運転資金。自宅の頭金を支払う直前に「事業主貸」として1,000万円が計上されていた。もうおわかりだろう、A氏は運転資金として借りた1,000万円を自宅の頭金に流用していたのだ。これ以外にも他の金融機関から調達した資金で自宅のカーポートや家具類を購入していることも発覚した。要するに生活費として不足した資金は金融機関からの借入金を流用していたのだ。
これはA商事と金融機関との契約違反となる。資金の目的外利用は金融機関にとって大きな問題となるのだ。特に運転資金とは、その資金を投入することで事業の継続発展を図ることを目的に金融機関が資金を融通するものである。融資審査会においてその企業にその資金を投入した場合の将来像を見据えて検討し、実行されるものなのだ。資金の目的外利用とは、そのような金融機関の想いを裏切る行為なのである。
この3つの問題だけでも充分否決事項となり得るところであったにも関わらず、さらなる現実がA氏を待ち受けていた。
A商事は年商6千万円、借入金総額3,500万円であったのでA商事の顧問税理士も300万円ぐらいであれば信用枠を考えても追加融資が可能だと考えたらしい。だが信用枠は既に一杯になっていたのだ。その原因は住宅ローンの3,500万円である。A商事は個人企業であるので、A商事の信用枠=A氏の信用枠となる。住宅購入によりA氏の借入金総額が7,000万円となり、これで信用枠が一杯になっていたのである。
自宅購入時にローン審査に使われた時のA氏の年間所得金額は1,050万円(年間所得600万円+専従者給与450万円)だったので3,500万円の住宅ローンが実行されたのだが、その段階で個人信用枠を使い切っていたことにA氏は気づいていなかったのだ。
結論は否決。
そもそもが目的外利用を誘発しやすい従業員雇用のための資金であるうえ、過去の目的外利用が心証を悪化させた。それに加えて個人信用枠の限度オーバーが重なったことで今回の融資は否決されたのであった。
(注)ストーリーそのものは架空であり、事業者も特定できないようにしています。ただ各回でポイントとなっている部分は事実であり、実際に審査会議で問題となった部分です。