目的外利用の懸念があったにも関わらず融資が実行されたケース
株式会社Tは年商5億円、当期純利益が1千万円、借入金総額1千万円の企業である。
業態は物販のFC(フランチャイズチェーン)加盟店。
代表取締役社長は57歳、脱サラで起業した事業意欲旺盛な男性経営者だ。
今回T社が持ち込んできた案件は「運転資金」である。当初5千万円からスタートし、その後順調に返済が進んで現在1千万円にまで減った借入金の借換案件だ。
融資審査の場においてまずチェックされる項目は、「スコアリングソフトがはじき出した格付け」や「売上高基準」、「利益償還基準」といった、いわゆる定型分析項目である。
T社の格付けは「リスクは高いが許容範囲である正常先」であり、売上高基準で考えても5千万円の借入金は1ヶ月分程度の売上高なので問題なし。「当期純利益+減価償却費」を年間インカムキャッシュと考える利益償還基準も、減価償却費を0円として計算しても5年で返済可能となるので大きな問題にはならない。
通常はここまで返済可能性が見えていれば可決となるだろうと考える向きも多いようだが、現実はそんなに甘くはない。ある行員から待ったがかかったのだ。
「T社はなぜ運転資金が必要なのでしょうか?」
なぜこの行員がこの質問を投げかけたか、おわかりだろうか。
実はこの「運転資金」という言葉に大きな問題点が含まれているのだ。
「運転資金」という言葉に明確な定義はない。
インターネットで調べても「経営を行うにあたって必要な資金」など、納得できるようで実は曖昧な表現しか出てこない。ここが経営者と金融機関との考え方が大きく食い違うところなのだ。
金融機関が考える「運転資金」とは「売上債権(売掛金+受取手形)+棚卸資産?買入債務(買掛金+支払手形)」である。つまり平たく言うと「商品仕入に必要な資金」ということになる。
一方経営者が考える「運転資金」とは「諸経費の支払いや借入金の返済を含め、経営全般に必要な資金」を指す。言葉尻だけで判断するとこちらの方が「経営を行うにあたって必要な資金」のように見える。
金融機関の考え方では「諸経費の支払いや借入金の返済」は当然利益から行うものであり、その資金が不足するならばそれは「運転資金」ではなく「赤字補填資金」となるのだ。
さて融資審査会議に話を戻そう。
この行員が運転資金という言葉に問題提起をしたのは、T社のビジネスモデルにその理由がある。T社は物販のFCであり、取り扱う商品は単価の低いものばかりである。つまり売上高は100%現金収入なのだ。一般的に100%現金回収であるビジネスモデルに商品仕入資金の融資はは必要ない。売上とは商品原価に利益をプラスして販売するものであるから、その回収代金が次の仕入代金になるからだ。料理屋が前日の売上代金を握りしめて毎日卸売市場に仕入に行くのと同じである。売上代金から仕入代金を捻出するのが運転資金として最も正しい方法なのだ。
この考え方からするとT社には運転資金は必要ないことになる。毎年利益もきちんと計上し、返済も滞ることなく順調である。店舗展開の話でもなさそうだし、設備投資でもないとすると、残る借入理由は1つ
「繋いでおきたい」であろう。
ここで問題が生じる。「繋いでおきたい」は借入理由とはならないのだ。
金融機関が最も嫌うのは「融資資金の目的外利用」である。反社会的勢力に流れたり、経営者の生活や趣味に使われるなど企業経営以外の目的に使われやすくなるというのがその理由だ。このようにして使われた資金は回収が難しくなることが多いというのも理由の一つである。運転資金の必要が無い企業に運転資金目的で資金を貸し付けた結果、それが破綻寸前の企業に又貸しされることもあるのだ。
「設備資金はともかく運転資金の使途を調べることはないだろう」と考える人が多いようであるが、これは大きな間違いである。最近では運転資金名義であっても使途の追跡調査が行われることはよくあることなのだ。借入事業年度において代表者からの借入金が大きく減少していれば使途を疑われると思って間違いないだろう。運転資金名義での借入金を使って自動車などの固定資産を購入しても目的外利用となることは覚えておいてほしい。信用保証協会においても総勘定元帳の提出を求められたケースがあるので注意が必要である。
ということでこの案件は否決。であればわかりやすいのであるが、そうすんなりとは進まないのが実社会である。
ここからがこの実録の見せ場であろう。
あくまでも金融機関が融資審査において最重要視することは「その資金は回収できるかどうか」なのだ。T社の場合、これまで返済が遅れたことは一度もない。経営者の人柄も良くわかっている。となると審査会議では可決するための理由を探しはじめる。今回は融資目的が「運転資金」であったのだが、この「運転資金」という表現を拡大解釈することで経営全般に必要な資金として捉えた結果、めでたく可決となった。
経営者は、自らの考え方や経営理念、経営方針などを金融機関にきっちりと伝えておく方が良い。経営には波があるのが当然であり、悪いときでもその場限りの言い逃れや出来もしない改善策を呈示するのではなく、実現可能な改善策を添えて全てきちんと伝えられる人が、金融機関にとって信頼できる経営者なのだ。
(注)ストーリーそのものは架空であり、事業者も特定できないようにしています。ただ各回でポイントとなっている部分は事実であり、実際に審査会議で問題となった部分です。